平面サイドからの清水多喜示 |
●清水多喜示プロフィール | |
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1897年 | 長野県諏訪郡原村に生まれる |
1919年 | 諏訪で美術教師をつとめる傍ら、絵を描く 二科展入選(絵画)、以後1922年まで毎回入選 |
1923年 | 美術研究のため渡欧、彫刻家アントワヌ・ブルデルに師事す サロン・ド・オートンヌ入選(絵画及び彫刻)、以後1928年まで毎回入選 |
1924年 | サロン・デ・チューレリー会員に推薦され1928年まで毎回出品(絵画および彫刻) デスピオ、ザツキン、ジャコメテイ、フリカツ、カンピリ、フエノザなどなど多くの作家との交流始まる |
1926年 | サロン・デ・アンデパンダン会員に推薦され1928年まで毎回出品(絵画および彫刻) |
1927年 | サロン・デュフラン出品作が国立ルクセンブルグ美術館所蔵となる(絵画) |
1928年 | パリより帰国、院展・国展・春陽会展などに出品す |
1929年 | 帝国美大(現武蔵野美術大学)の創設に参加 |
1939年 | 中国へ従軍 |
1943年 | 文展委員並びに審査員に任命さる。以後、文展・日展などの審査員 |
1951年 | 東京都建設局長石川栄耀博士の発想により上野公園広小路口に建設するための彫刻のコンクール(彫刻家14名選出され13名の審査員によって)の結果、「みどりのリズム」が第1位に推挙された |
1952年 | サンパウロ・ビエンナーレに出品 |
1953年 | 第8回日展出品作「すこやか」、芸術推奨文部大臣賞を授与さる |
1954年 | 第9回日展出品作「青年像」、日本芸術院賞授与さる ヴェニスで開催された国際造形芸術会議に日本首席代表として出席、国際造形芸術連盟成立の上、同連盟の執行委員に選出され、就任。 |
1955年 | パリ・ユネスコハウスで開催された国際造形芸術連盟執行委員会に出席 |
1964年 | 5月5日より9月15日まで開催された「ブルデルをめぐる20世紀の胸像の歴史展」に彫刻2点出品 10月ジュネーブに本部のある国際電気通信連合(ITU)の創立100年歳記念事業としてジュネーブの国際広場に建設するモニューマンのための「国際彫刻コンクール」の審査員を移植さる |
1965年 | 1月15日付日本芸術院会員に任命さる 国際彫刻コンクール審査のため6月および12月の2回ジュネーブに行く。審査終了後欧州各地を見学、アメリカ経由で帰国 |
1969年 | 勲三等瑞宝章授与さる 武蔵野美術学園園長(〜1973) |
1971年 | 紺綬褒章を賜る |
1980年 | 文化功労者に顕彰さる。 原村八ヶ岳美術館に彫刻・絵画127点収蔵さる |
1981年 | 正四位勲二等瑞宝章を授与さる 5月5日没、天皇陛下より祭粢料を賜る |
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